ハイドパークフェス

suzukikeiichi2005-09-04

なんか、BBS見たり3日の様子を見たり、やけに事前に調べ物してるうちに睡眠時間が減って、朝起きてギター弦を張り替え、服や雨具やもろもろ用意して出発、各自現地集合、1時半に。でも環七や関越がすいてて早めに着く。控え室は意外にも普通のレストラン。スタッフ親切。ケータリングのカレーとハヤシをhalf&halfにして食う。みんなそうしてる。2曲手伝ってもらうラスト・ショーの徳武氏と島村氏とで譜面見ながら口と机でリハ。現地を見に行く。ちょうどアーリー・タイムス・・・が演奏中。曇り空。渡辺氏は相変わらずの異才ぶり、ギターも歌も。クジラと目を合わせて、すげーなの合図。サイケな格好でうろうろしてると、ブレッド&バターの幸矢さんに見つかり、しばし談笑。一旦レストランに戻って最終準備していると雨が降って来たと連絡が。雨具を持って待機するが、渋滞でミュージシャン運搬車が来ない。そのうち土砂降りに。始める前から伝説化と言われてたフェスが雨によってさらに伝説化?。やっと車到着、仕方がない。しかしすごい豪雨となってる。ステージ横のドレッシングテントに着くが一歩も外に出れないくらいの雨。ラスト・ショー演奏中。音が聞こえないくらいの雨音。洪さんと話してると出番が。ギターの音が小さくて雨音に消される。ステージの前が川のようになってる。演奏するしかない、雨を味方につけて。なんとか終わってドレッシングテントに戻るがミュージシャンで一杯、立錐の余地なし。搬送車を待つ。ハンバート・ハンバートと挨拶したりして、とても楽しい非常事態。ついに床上浸水。やっと車が来て後部から出入り、軍隊のごとし。はっきり言って面白い事になったもんだ。レストランに戻り、細野さんと談笑したり忠さんと話したり、年上が多い珍しい状況。結婚式の挨拶のようで出番が終わらないと落ち着かない。終わったんでリラックス、ビールを飲んで雨が小降りになるのを待つ。やんだ。佐野元春氏は雨を止める力があるらしい。会場に向かう。知り合いと会ったりしてまたビール飲みながら観賞。佐野氏が終わって、細野さんだ。見事に雨がやんでる。このライヴは非常に自分の位置を想定しにくいライヴ。狭山は遊び場だったが年中居たわけではない、通いの人だった。今朝の商店街とか懐かしかった。だから狭山に来た事のない我らがBandのメンバーと一緒に演奏し、アメリカはニューオーリンズも救えないのかと言ったり「Freedom for the Stallion」ちょいと歌ったりなんかしてね、へへへ。米軍の将校用ハウスにみんな住んでいたが、今も住んでる人もいるが、私がここに通った期間は短い。いわば失われた場所だ。「HOSONO HOUSE」が今夜みたいにたくさん生で演奏されたのも見たことがなかった。細野さんはこのアルバムを作って、しばらくしてチャンプルーサウンドへ走り出したし「HOSONO HOUSE」は夢の「家庭」だと思った、演奏を聴きながら。ジャパニーズ・アメリカン・ドリームの一部をなす「家庭」がこのパークに浮かび上がる。日本のPop Musicのミッシング・リンクだ。私はかつて獲得出来なかった、私的失われた時間を、私的失われた場所で過ごし、聴くことができた。おそらく、ここに住んでた将校達の幽霊にも届いた事だろう。複雑なジャパニーズ・ミュージシャンのアメリカに対する距離感が作りあげる素晴らしい音楽が。大雨を降らせた遠因の台風が13号だったら(14号だったようです)福生の御大のガンボ・ヴードゥー・マジックだったかもしれない。カトリーナの影響でアラン・トゥーサンファッツ・ドミノの安否が心配されたが無事なようだ。でも、もっとたくさんのミュージシャンが被害にあってそうだが・・。
写真はドレッシングテントでの呆然。